25 荒井良雄研究

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「ヘンリー8世」の朗読 1990年 岩波シネサロン

荒井良雄 1935~2015

 映画監督荒井良平の息子。俳優志望であったが父の助言で研究者の道へ。荒井良雄先生、人物評を語るときはたとえ名優ギールグッドであっても 意義をとらえつつ 限界にもふれていた。御父上の話だけは 目が輝き「日本一の映画監督です」と無条件に礼賛。 

 高名なシェイクスピア学者 シェイクスピア劇を全編朗読(朗読ブームの始点)  

(皇室の家庭教師を兼ねる)学習院大学教授 文化放送(一世を風靡した)「百万人の英会話」講師。 とにかく人気者で 学習院女子大の講演時、私は一時間前に大学に到着、入構規制に「荒井良雄の・・」と言い始めたら 数人の出迎えの人々が奥から湧いてきて笑顔で取り囲むのです。先生と私を取り違えたのですが、数秒、幸せな気分になりました。それはいい雰囲気でした。

 

ブライスとの関係

学生時代 ブライスの講義を聴講 教授時代の同僚 ブライス3高弟のひとり。

ブライス家と親交 ブライス次女死去時、大磯の家を長女春海さん(カリフォルニア在住)と処分。遺品蔵書を学習院資料室(手紙等)と日大文理学部図書館(蔵書)に寄贈。春海さんの雰囲気。資質はブライス氏に似ている とのことで 荒井先生と春海さんの会話ははずみ ブライス氏の好きだった英詩を一緒に暗誦。録音してあるのですが・・

著書 「ブライス禅の世界」北星堂 2004年

 

私との関係

博士論文「シェイクスピア能研究」の外部審査員としてはじめてお目にかかりました。廊下ですれ違った時に この人 と直感。英国紳士の風貌。審査の会場では アガサ・クリスティー検察側の証人」の証人のようで 雄弁に論証。もうだめだ、と思いました。博士号取得後は頻繁に手紙をくださいました。年賀状に「後期と高齢者なったので年賀状は今後出しません」とあり たよりは途絶すると思ったら、それからが毎週、毛筆のお手紙が来るようになりました。ブライスの遺品処分にも同行。

 

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最初に荒井先生を知ったのは、鶴舞の古本店で

シェイクスピア演劇上演論」新樹社 1972年

を見つけ シェイクスピア研究で座右の書としておりました。これはすごい本で、日本のシェイクスピア研究の多くは英国の書物の孫引きなのですが、上演経験から有機的に組み立ててある文献。高度の編集能力というか統覚の高峰。若いころ手にいれた本で大家である著者が、生きてみえる、お目にかかれるとは思っていませんでした。